平成27年9月湖南市議会定例会閉会あいさつ

更新日:2019年07月01日

 平成27年9月定例会の閉会に際し、一言ごあいさつを申し上げます。議員のみなさまには、去る9月1日からの長い間、慎重審議され、条例の制定改正や補正予算、平成26年度決算、人事案件など、提出いたしました議案すべてお認めいただきましたことに心からお礼申し上げます。

 さて、国論を二分した安全保障法制に関する国会審議が終わりました。長年にわたる憲法解釈を根本から変えるに際し、国民は置き去りにされた感がございます。過去、わが国の憲法典は、大日本帝国憲法にしても、またその改正憲法にしても、いずれも国民は制定過程に関与を許されてまいりませんでしたが、今回の実質的な改憲に当たっても国民は不在のままでありました。安全保障法制に関する国会審議における最も大きな課題は、国民主権という現行憲法の基本原則に配慮を欠いたことであったと申せます。

 しかし、中国による南西方面、とりわけ南シナ海におけるシーレーンの圧迫やロシアとの北方正面での緊張状態の現出など、わが国をとりまく国際環境が厳しさを増していることは事実であります。それらに対峙して世界の警察官としてふるまってきた同盟国アメリカのパワーが弱ってきていることも事実であります。こうしたなかで、わが国に求められる国際的な役割に変化が生じてきていることにも注目が必要となっています。

 かつて、日英同盟という安全保障システムがありました。日英同盟締結時、イギリスは日本をロシアの防波堤としながらも、日本の大陸進出が清国の復讐を誘い、ロシアと衝突することになるため、そうした行動を抑制する立場にありました。しかし、日露戦争時には、同盟に参戦条項がなかったために好意的中立を保ったうえで、日本に有利なように外交的経済的措置を行いました。日露媾和では日本がロシアに賠償を求めなかったことが欧米では武士道的精神として大きく称賛されましたが、これを不満とする新聞に扇動された民衆により教会が焼き討ちされたことで、欧米の日本を見る目が文明国から野蛮国へといっぺんに変わりました。一方、日本の勝利により、世界の植民地で支配されていた有色人種が一斉に覚醒し、ロシアの反体制派も勢いづきました。

 日露戦争後、日本はロシアと協商し、日英同盟は適用範囲が東アジアから西南アジアにまで拡大された上に、参戦条項の入った攻守軍事同盟となりました。日本とフランスも接近し、戦前の日英対露独仏の関係は、戦後、日英露仏対ドイツという構図に変わり、ドイツは満洲を巡り対立をし始めた日米の離間と中国での反日扇動を展開しました。その結果、いわゆる黄禍論が巻き起こり、アメリカでは日本人排斥の人種差別運動につながりました。

 第一次世界大戦が勃発すると、日英同盟に基づく連合国からの再三の要請にも関わらず、国内輿論が許さなかったため、日本は出兵を拒み続けました。センセーショナルなジャーナリズムは派兵反対の大合唱で、戦争協力には常に代償を求め続けており、こうした国内輿論を背景にした野党は帝国議会で外交問題を政争や政府攻撃に利用しました。その結果、南太平洋からインド洋、地中海に至る広い範囲で日本艦隊が連合国のシーレーン確保に精力を注ぎ、現場では多大な感謝をされながらも、欧米列国外交の場では日本が領土的野心と経済的利益を追求しているだけの狡猾な国に見られる残念な結果となりました。

 また、ベルサイユ媾和会議において、新たに発足する国際連盟の規約に人種平等条項を挿入する提案を日本が行ったところ、賛成多数であったにもかかわらず議長国アメリカの職権で否決されてしまいました。このことが国際社会は人種不平等であることを明らかにし、日本の外務・軍事官僚に外交政策の刷新を決意させるとともに、日本の人種平等提案を警戒した白人優位主義のオーストラリアやニュージーランドからの要請で、イギリスは対日軍備としてシンガポール要塞の強化に乗り出さざるを得なくなりました。

 一方、その後もイギリスがシーレーン確保のために日英同盟の継続を必要としたにもかかわらず、中国大陸の利権を巡って日本との対立を深めた挙句、日英の挟み撃ちとなることを恐れたアメリカが、日英同盟を解消させると同時に日英にイニシアチブをとられないように、巧妙にフランスも交えた四カ国条約を締結させることに成功し、九カ国条約を含めたワシントン条約体制が発足しました。

 日英同盟が解消された日本は軍事的に孤立したため、自主軍備に乗り出さざるを得なくなりましたが、幣原外交と呼ばれるように国際的にはワシントン条約体制を正直に守り続けました。しかし、軍閥による内戦の激しい中国大陸で勃興したナショナリズムを経済利権からアメリカが煽り立てて条約違反の排日が盛んになり、中ソ戦争に敗れた中国を国共合作により対日戦へと導くソ連コミンテルンの巧みな工作や、利権を復活させたいワイマールドイツが国民党に軍事顧問団を派遣するなど、ワシントン条約体制を守ろうとしない米中ソ独各国により、日本はますますその孤立を深める方向に押し出されていきました。それをまたもや国内マスコミは軟弱外交と煽り立て、野党は政争と政府攻撃を重ね、軍事的孤立に危機感をもった軍人が総力戦体制確立に向けて独走する素地を作ってしまいました。

 これが国民的熱狂のもとで満州事変に至るまでのたった四半世紀の国際環境の変化です。

 その後の展開はみなさんもご存じのとおりであります。四半世紀といえば、わずか平成の御代と同じくらいの短い間に起きた劇的な変化です。すなわち、こうした国際環境の変化は比較的短期間にも起こり得ることから、常に備え続けなければならないということでもあります。日米同盟は旧安保条約から63年、現行安保条約からでもすでに55年が経過しています。しかし、そのあり方を国民的議論で見直していくことが難しい国民性であることは、すでに日英同盟とワシントン条約体制を巡る歴史が示しています。

 立憲主義を無力化する国内世論の二分化は早期に解消し、国論を統一して国際環境の変化に対応することこそがわが国の喫緊の課題でもあります。そうした意味で、今国会における手続不在の法案審議は必ずや将来に禍根を残すものとなるでしょう。その一方で、わが国においてもはや憲法問題と安全保障問題が決してタブーではないことを国民が自覚したことは、大きな成果でありました。これからは、上から目線ではなく、単なる政争の具ではなく、冷静かつ実質的な国民的議論が深められることを望みます。

 むすびにあたりまして、議員のみなさまをはじめ市民のみなさまのご健康とご多幸、そしてますますのご活躍をお祈りいたしまして、9月定例会の閉会に際しましてのお礼のごあいさつといたします。

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