鉄拳が描く第2弾!ふるさと湖南市の思い出エピソード
鉄拳動画第2弾で募集したふるさと湖南市思い出エピソードについて、中学生から70 代までの幅広い方から7名の応募がありました。湖南市出身、在住、在勤などゆかりのある人から、子どもの頃に遊んだあの場所、大好きなあのお店、あの人など思いのこもった7つの思い出エピソードの核となるストーリーをピックアップし、架空のストーリーとして作成しました。
ふるさと湖南市の思い出があなたを元気づけます!
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鉄拳からのコメント
ふるさと湖南市第2弾のイラストを描かせて頂き、ありがとうございます。第1弾はコロナ禍における家族の絆の物語でしたが、今回は3つの違う世代の人達が、湖南市の風景や人物に思いを馳せ、それぞれの想いが奇跡的に繋がる物語です。僕は中学生の時にお世話になった先生と今でもよく連絡をとっています。SNSに先生との2ショット写真を載せた所、先生にお世話になった違った世代の方々からコメントがあり、奇跡的に繋がったことがありました。皆さんもぜひ湖南市の情報を発信して、違った世代の人や会いたかった人などと繋がり、それぞれの奇跡の物語を作ってもらえたらと思います!
本編のストーリー
ふるさと湖南市 ~こころの健康が育まれるまち~ 思い出エピソード編
和子は年齢を重ねるとともに過去の記憶が失われていることに寂しさを通り越して、あきらめのような心境の中にいた。教師として子どもたちを送り出していた昭和の時代。あの頃の思い出だけはまだ残っていた。人生を変えてくれたあの時代。
集合写真(桜が咲く入学式の写真)がかすかな記憶をつないでくれていた。ただ、いつもながらこの写真をみると何か欠けているものを感じる。それは、当たり前のことのようであり、また、とても大切なことのように思えた。
(参考:集合写真)
(参考:桜の風景)
桜の季節、がたがたと振動を感じながらゆっくりと歩道を進める。日常生活には車いすが欠かせない。膝の上には軍手と鎌と小さい額縁。子どもたちが通行する歩道を生い茂る草が邪魔をしていないか、介護士のヘルパーさんと見回るのが日課になっている。そのためか、近所や学生からは「かずさん」と呼ばれ親しまれている。
「かずさん、おはようございます」。元気よくあいさつしながら、こどもたちが通学している。その後ろ姿を見ると、思い出の一枚の写真の、あの頃のことが思い出される。
(参考:和子イメージ(電動車いす))
(参考:草生い茂る通学路)
鉄拳イラスト
鉄拳イラスト
(回想シーン)
大阪から長い道のりを蒸気機関車に乗って、下宿先の祖母の家まで向かった。大好きなマッカ(マクワウリ)を祖母は笑顔で「いくらでも食べや」と、私はぬるぬるとしたマッカを手から滑り落ちそうになりながら気をつけて口に運んだ。
(参考:当時の蒸気機関車)
(参考:マクワウリ)
鉄拳イラスト
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当時は下田村と呼ばれ、昭和33年(1958年)10月に旧甲西町として施行されるまで一つのまちとして形成されていた。下田小学校に新任教師として赴任したが、大阪から祖母のご縁をたよってきたため、友人もなく、地域や学校にもなじめず子どもたちにもからかわれていた。でも、子どもたちの笑顔を見ると救われた。
(参考:下田小学校)
(参考:下田村の様子)
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ある時、男子生徒の魚釣りの作文が良く書けていたので、郡のコンクールに出展した。今まで、コンクールなど大きな舞台への働きかけがなかったのだろうか。見事に表彰され、地域、学校をあげて喜ばれ、私は一躍、生徒や親から頼られる存在となった。このことが、私の人生の分岐となり、ここが私の居場所となった。
その魚釣りの作文を書いた生徒。写真はあるけれどどの子だったか、最近特に記憶が不確かになっている。そのことへの歯がゆさをひどく感じていた。教師として、そして人生の礎をともにつくってくれた教え子たち。
今、彼らはどうしているのか、思いを馳せる。
鉄拳イラスト
鉄拳イラスト
正和は、下田商店街の空き店舗の多いさびれた風景を見て、寂しさを感じながらも懐かしい思い出にふけっていた。下田村に生まれ、現在まで変わらず住み続けている。孫もいて、穏やかな暮らしの中にいるが、当時の最盛期を思い出すとワクワクがよみがえってくる。
下田の地は、水はけが悪く農作物には適さない土地柄で商売をする人が多く、年末には買い物客で人が通行できないくらいにぎわっていた。村営の映画劇場もあり遠くから見に来る人も大勢いた。地元の日枝神社は商売繁盛の御利益として多くの参拝客で賑わっていた。
(参考:下田商店街最盛期)
(参考:現在の下田商店街)
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振り返ると小学生のときに教わった先生との出会いが、その後の人生を大きく変えてくれたと言える。私は勉強が好きになれなくて成績がいつも悪かった。あるとき、魚釣りの作文をすごく褒めてくれた。今まで怒られた記憶はあっても、褒められたことはなかった。名前に同じ字が入っているね、その言葉がなぜかうれしかった。先生に褒められたくて、勉強もがんばるようになった。
今、先生はどうしているのか、思いを馳せる。
(参考:魚釣りの風景)
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麻衣は、建替を控えた小学校の校庭を見て、寂しさを感じながらも懐かしい思い出にふけっている。一番の思い出は、卒業制作でかまどベンチを作ったこと。先生がすごく褒めてくれて、当時の知事も見に来てくれたことは今でも私の自慢だ。先生はいつも子どもたちに寄り添って考えてくれた。
(参考:知事との懇談)
(参考:知事とかまどベンチ)
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私も人に寄り添うことができるような介護の勉強がしたくて大阪の学校に通った後、子どもの頃から親しんでいたあの桜を毎年見たくて地元での就職を選んだ。結婚をして子どもができたけれど、生まれてすぐ重度の病を抱え日々不安だった。子安地蔵が祀られているお寺に参拝したとき、子どもへの思いを住職が静かに聞いてくれた。どれだけ心が救われただろうか。
(参考:国宝長壽寺)
(参考:長壽寺住職)
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コロナ禍で老人ホームの入所者に気を配りながら、慌ただしい仕事で疲労をにじませていた。このような中でも、入所者との散歩が心をほぐしてくれるひと時になっている。特に入所者の和子と日課になっている奉仕作業は、地域の人と関わりを持つ大切な時間だ。
(参考:電動車いすで奉仕作業)
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ふと神社の方を見ると、子どもとその祖父らしき2人が境内の社の下をのぞき見ている。よく見ると、麻衣の小学校時代の恩師の正和だった。近づくと、孫の大和の方を見てなぜか和子が穏やかな顔で涙を流している。
正和は、入所者の手元の額縁を覗き見た。その額縁の中には、正和の小学校時代の思い出の集合写真があった。
(参考:境内の社)
(参考:かしほ神社)
(冒頭の集合写真)
正和は、コロナ禍のためマスクをしている車いすの老婆が、恩師である和子のことだとわかった。大和を見て涙を流しているのは、小さい頃の正和と大和の姿を重ねたためだろう。
「何を見ていたの?」と静かに和子は大和に聞いた。
「アリジゴク!」と大和は答えた。
(参考:アリジゴク)
鉄拳イラスト
魚釣りの次はアリジゴクなのね、と和子は静かに笑った。
大和は首を傾げたが、その和子の言葉を聞いて正和はこらえきれず涙した。
麻衣は、涙する和子の姿を見てその思いを感じとり、言葉が見当たらず見守るだけだった。
思い出をかたちに残したい、桜が咲くこのときに。
和子が忘れても思い出せるように。
今日という思い出が色あせることがないように。
大和が3人の笑顔をスマートフォン越しに確認し、画面を素早くタップした。
編集後記
今回制作したのは湖南市にゆかりのある人たちの思い出エピソードをカタチにしたものです。本編においては、和子、正和、麻衣の思い出は市民の思い出のエピソードであり、断片的にストーリーに組み込み、架空のストーリーとして思いをつなぎました。
登場人物の3人は教師と教え子という設定ですが、人の心に寄り添うという心のつながりを通じて、それぞれの思いを将来世代に継承していくことを描きました。和子は認知症を患い、日々の生活がままならなくなっています。しかし、ある1枚の集合写真が当時の思い出だけは風化せず、生きるよりどころにしています。
登場人物はある風景から思いを馳せますが、理由はそれぞれにあり、いずれも寂しさを感じながらその当時にタイムリープします。思いは記憶のなかで鮮明な色として甦り、当時の懐かしいふるさとの思い出が心を元気づけます。
最後は、思い出の写真がカギとなって3人の関係性が結びついていきますが、麻衣は正和の子どもの頃と大和の姿が瓜二つなのを感じとっています。(現実的には、マスクをしているので目の部分が似ていたということになりますが。)それは、和子の認知症が進み、毎日の奉仕作業の日課で、教師時代の話を聞いていたからです。
コロナ禍で人との交流が制限される中で、あらためて人とのつながりを意識しています。
子どもたちにも人生を変えるような出会いと、そのことを思い出として語り継ぐことができる日常の健康を取り戻すことを願い描いたものです。
更新日:2022年05月09日