令和2年11月4日定例記者会見

更新日:2020年11月09日

このページは、市長定例記者会見の内容を秘書広報課でまとめたものです。

【市長会見事項および資料提供】

(1)国宝湖南三山紅葉めぐりについて

(2)弥平激辛パスポート開催中

【発表内容】

司会:これから令和2年11月度の定例記者会見を始めさせていただきます。それでは市長よろしくお願いします。

 

市長:湖南市長としての任期も本日を入れてあと3日となりました。旧甲西町長から17年半、湖南市長として16年間、お支えをいただいたすべての人にお礼を申し上げたいと思います。旧甲西町長の初当選は平成15年4月27日のことでした。

思い起こせば、旧甲西町長に立候補したのは36歳の時で、財政も破綻状態、道路は渋滞が慢性化し、学校現場は学級崩壊だらけであったにも関わらず、経営能力のない現職に「風が吹いているから」対抗できないと誰も立候補する勇気がなく無投票になりそうだったため、県職員の職をなげうって挑戦したものでした。そのときから魑魅魍魎の世界でよくやってこれたなというのが正直な感想です。

当選してからは、「見える安心、見られる緊張」ということで、職員と住民のみなさんの双方に変わっていただくようにお願いをしました。新年度の予算編成もできないほど町の財政状況が危機的でしたので、そのことを徹底的にお伝えし、住民のみなさんの理解を得て聖域なく改革を進めました。小泉改革の厳しさもその背景にありました。

その一方で、町村合併問題では旧甲賀郡7町での大同合併から離脱した状態で町政を受け取ったため、郡内での信頼回復とともに、大同合併をするのか、旧石部町との2町合併に納めるのか、竜王町や旧野洲町との関係をどう整理するのかという課題にも直面していました。旧石部町長とのギリギリの駆け引きも行いました。

また、議会との関係では、特別職人事を人質に取り首長を立ち往生させれば満足するという風土が前任者の時代からまん延していました。これは今でも続いているこのまちの議会の悪しき実態のひとつでもあります。当初は助役も収入役も教育長もないなか、36歳が徒手空拳で職員の助けを借り、住民の理解と支えで何とかやって来ることができました。

政治面では、自民党と民主党が激烈な戦いを繰り広げた主戦場であり、住民の利益を最大にすることだけを目標に立ち泳いできたというのが実態でした。当時はことあるごとに怪文書が撒かれる卑劣な土壌でしたし、政治で勝負せずに刑事告発合戦が展開され、警察も疲弊するくらいでした。

道路渋滞問題では、野洲川に架かる現在の新生橋が県道であるにもかかわらず用地買収ができないまま着工され野ざらしにされていましたので、職員とともに地権者と度重なる交渉を行い、合併直前に開通することができたのは大きな喜びのひとつでした。同じ地権者との交渉が難航していた新名神高速道路の事業もそれを契機に動き出しました。

学校現場の崩壊の原因のひとつは、指導力のない教員が県内じゅうから集められていたためでした。そこで、先日亡くなった奥村容久教育長と県教委の教職員課を訪れ、職員一人ひとりに甲西町の教育現場を救ってほしいと頭を下げて回りました、そのことで県教委も初めて問題の深刻さに気づいてもらえました。

合併問題は旧石部町と旧甲西町の2町合併とし、旧甲西町側ではすべての新規事業を凍結したにもかかわらず、旧石部町側では隠れて新規事業を進めていました。しかし、この地域の課題解決には合併は避けられないと考え、平成16年10月1日に合併により湖南市を誕生させ、その前日に自動失職をしました。

新市の市長選挙では、合併を合意した相手である旧石部町長は、1年半前に倒した前旧甲西町長を支援し、自ら信頼関係を破壊しました。ここでも激烈な選挙を戦い、初代市長となりましたが、湖南市としての一体感の醸成が急務であるとともに、引き続いての財政危機と職員組織の不調和に苦しめられました。旧石部町から中津勇助役、旧甲西町から上西佐喜夫収入役を選任して市内の調和に努めました。

市の一体感の醸成には、市内のあらゆる団体の統合を進めましたが、旧2町分の補助金を予算化した途端に統合を翻した老人クラブ連合会に対しては、補助金削減を示して厳しく翌年の統合を求めたほどでした。財政問題については枠予算編成制度を導入、職員の意識改革には直接市長と幹部職員の手紙のやりとりで意思統一を行いました。

学校現場の崩壊に対しては、滋賀県で初めてのコミュニティスクールを岩根小学校に導入し、その後、各校に広げて行きました。学校応援団の制度も取り入れ、学校経営と支援ボランティアの双方に地域の力をいただくことができたことは、今のゆるぎない湖南市教育の基礎基盤となっています。

外国人の課題については、グラフを作ってみてその深刻さに気づき、直ちに支援体制を組むとともに、日本語初期指導教室「さくら教室」を作ったことで、学級崩壊の防止に大きく貢献することができました。その後のリーマンショックでの大量解雇に対しても、県内で唯一、外国籍市民に向き合うことができた多文化共生のまちとなりました。

障がい福祉の推進については、湖南市が構築した発達支援システムが発達障害者支援法に結実し、内閣総理大臣表彰を受賞しました。しかし、課題は就労と生活支援でしたので、障がいのある人が地域でいきいきと生活できるための自立支援に関する湖南市条例を制定し、市が一体となって障がい福祉に取り組む素地をつくることができました。

合併後の対外的な課題のひとつが東海道新幹線(仮称)南びわ湖駅問題でした。自治体間外交が展開され、二転三転して中止となりましたが、選挙でポピュリズムを煽った挙句、その責任も取らない知事を誕生させた滋賀県の信用を著しく損なった大きな事件でした。政争と県庁の立ち位置の関係も厳しく問われ、今に至るまでその後遺症に苦しんでいます。

このとき私は、常にバランサーとして活動していました。國松県政との関係、目片大津市政との関係、中嶋甲賀市政との関係、國松栗東市政との関係、嘉田県政との関係。それまで原則非公開だった会議を公開させ、積極的に発言する市長像を作り上げ、中止までのソフトランディングは当時の澤田史朗副知事や川口逸司理事と調整を重ねたことを思い出します。

地域のまちづくりについては、平成19年度からの3カ年で地域まちづくり協議会を地域主導で立ち上げてもらいました。人口減少と高齢化を見据え、現在の区・自治会では担いきれない防災や福祉や環境などの課題や事業を広域で支えあうもので、先日のまちづくりフォーラムで来年度以降の新たな体制づくりを完成させました。

防災については、江戸時代に市内で発生した土石流である妙感寺流れを教訓に、自助・共助・公助の防災減災のまちづくりを県内でも最先端で進めましたが、災害時要支援者の個人情報の取り扱いを条例で定め、特別法は一般法を破ることを示したことが県から国に伝わり、現在の個人情報の取扱いにつなげることができました。

災害で印象が大きかったのは、やはり平成23年の東日本大震災です。あれ以来、わが国の災害支援のあり方は根底から変わりました。湖南市からも直後から長期にわたる支援を重ねました。原子力発電所事故による常識の破壊も大きなものでした。湖南市の地域自然エネルギー基本条例と現在のSDGs未来都市につながっています。

観光面では、合併後1年で湖南市の知名度を上げた湖南三山が先行し、震災の自粛期間に取り上げられた仮想都市こにゃん市、名探偵コナン作者の故郷である鳥取県北栄町との交流協定締結もこの頃のことでした。三雲城と猿飛佐助を取り上げたり、北海道比布町との交流協定に加えて最近では高知県室戸市・東洋町との観光交流協定も締結されました。

公立甲賀病院については、先日まで組合管理者をしていましたが、旧水口町が用地買収を確実にしていなかったため、老朽化していた病院の建て替えは、基本設計までできながら断念するという危機に見舞われました。その後、平成25年に移転新築することができましたが、安価で建設するために政治的思惑から切り離すのに苦慮したりしました。

文部科学省から全国最年少教育長として迎えたのが34歳の浅原寛子教育長でした。地域や現場に入り込み、若い発想で新機軸を導入し、奥村前教育長が耕した土壌に種を植えてくれました。現在では、谷口茂雄教育長のもとで見事な花を咲かせてくれています。実を収穫できるかは今後にかかってきます。西田一夫副市長にも尽力いただきました。

ハード面では、甲西橋の架け替え、県道竜王石部線菩提寺バイパスの開通、国道1号バイパスの整備と石部大橋から名神高速道路栗東湖南インターチェンジ開業と道路や橋梁の整備を着実に進めることができました。国道1号の四車線化と県道竜王石部線(仮称)新中郡橋については、国や県と計画を前に進めているところです。

その新しい国道1号を活用して誘致できたのがイオンタウン湖南でした。平成15年に計画が持ち込まれ、途中で撤退の兆しもありましたが、直接交渉で平成26年に何とか開業にこぎつけることができました。湖南市内に買い物するところがないという市民ニーズに応えたもので、湖南市商工会にも加盟していただいています。

イオンタウン湖南内に、農産物直売施設である「ここぴあ」を設け、高齢者を含めた農業塾を開催して農業者の確保を進めています。先日、JAこうかの山田嘉一郎組合長とお話しすると、湖南市の取り組みを参考にJAとしても若者相手の農業塾を始めたということで、これまでの常識にとらわれない農業の模索につながっています。

JR駅舎の整備では、甲西駅と三雲駅のバリアフリー化が終わり、石部駅についてもJRと基本協定を締結しました。今後は、デマンド小型乗合自動車を導入して、鉄道駅へのアクセスを高め、利便性を高めることが課題となります。新中郡橋ができれば菩提寺方面からの石部駅利用も増えるものと想定されます。

学校施設の耐震化もエアコンの導入も終わり、体育館の冷風機も予算化しています。万一の際に避難所となる学校施設の整備が終わりましたので、司令塔となる市役所庁舎の建て替えが課題ですが、財政上の制約に注意が必要です。その一方で、災害は待ったなしであるとともに、老朽化施設の整理統合も待ったなしであり、難しい舵取りが求められます。

子ども・子育てについては、妊娠期から切れ目ない支援を継続できるように、今年度から各中学校区に子ども家庭総合センターを設け、子育て支援コンシェルジュと連携しています。また、公立園の民営化を行い、多様な保育就学前教育ニーズに応えるようにしました。政争絡みで民間移行園の給食ができなくなる危機もありましたが、懐かしい思い出です。

高齢者福祉施策については、施設の整備はほぼ終わっています。これからは元気高齢者をいかに生み出し続けるかが課題であり、いきいき百歳体操やこなんTHEボイスプロジェクト、100歳大学などの事業とともに、先月からは昼間のコミュニティバス高齢者無料券配布で外出を促進し、介護予防、認知症予防、生きがいづくりに努めています。

地域おこし協力隊については、大都市近郊型協力隊を総務省に提案し、離島半島や中山間地でない都市部でも可能とされたことから取り組みましたが、当初は定着に苦慮し続けました。最近では、石部地域を中心にカフェや民宿などさまざまな取り組みが花開き始めており、今後の地域活性化につながればありがたいと期待しています。

平成24年には滋賀県市長会長となり、市長会の原則公開や部会設置など改革を進めました。平成24年には近畿市長会副会長として、会長の海南市長、もうひとりの副会長の和泉市長と近畿市長会のあり方を根底から見直しました。平成27年には近畿市長会長を務めさせていただき、平成30年には全国市長会副会長に任じられました。

全国市長会副会長としては、1.大阪府北部地震、平成30年西日本豪雨、北海道胆振東部地震などの災害対応のシステム化、2.幼児教育保育無償化での政府との厳しい交渉と制度化、3.入管難民法改正に伴う特定技能制度新設による多文化共生問題の解決の推進に特に取り組み、成果を挙げることができたことで、国には大きな貢献ができたと考えます。

そして、今年に入り、新型コロナウイルス感染症対策に忙殺されました。国や県に先んじて最速で最大の諸対策を打つことができたことは、現場の職員と教員、関係者の努力の賜物であり、感謝以外のことばが見当たりません。未曽有の危機に際しては、評論はしてもいいですが、手を動かしながらするということが大切です。

私は就任当初から、市長が市長室で机に足を上げて寝ていることができる市役所づくりを目指してきました。財政も好転し、道路渋滞も解消され、教育現場も最先端となりました。地域活動も活発になり、防災体制も整備され、行政のICT化も進み、その実現に近づいています。これを一緒に成し遂げていただいたすべての人に感謝したいと思います。

6日の金曜日には萩原智行副市長、谷口茂雄教育長と揃って退任をさせていただきます。6日は朝から総合政策会議を開き、大津で滋賀県国民健康保険団体連合会と一般財団法人滋賀県市町村職員互助会でそれぞれ理事長としてあいさつを行い、午後には甲賀広域行政組合と公立甲賀病院組合の訪問を受けてあいさつをする予定です。

退任式は、16時から西庁舎で教育委員会と人権擁護課等に対し、16時45分から東庁舎で市長部局に対してあいさつを行い、17時15分の終業のチャイムを聴いてから退庁することとしております。最後に、この間、報道のみなさんにもお世話になり、常に市民目線で働くことができましたことに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 

 

司会:続きまして、本日提供させていただく資料について、担当より説明させていただきます。国宝湖南三山紅葉めぐりについて、また第3回弥平激辛パスポート開催中について、商工観光労政課長よろしくお願いします。

 

商工観光労政課長:「国宝湖南三山紅葉めぐり」「第3回弥平激辛パスポート開催中」について説明

 

司会:その他お手元に広報こなん11月号を配布させていただいております。それでは記者のみなさんからのご質問をお受けいたします。

 

記者:17年間、まだ3日残ってますけれどもお疲れさまでございました。市長として市のこと、あと全国市長会の副会長としてご活躍されたんですけれども。今お話いろいろありましたが、特に印象に残ってるというか思い出深いというか、そういったことをお話しいただければと思うのですが。

 

市長:対外的なことから申しますと、やはり東海道新幹線仮称南びわこ駅の建設促進から中止に至る過程ということです。特にこの間は先ほど申しましたように、ポピュリズムがまず先行して、それを後から穴埋めをするために、法的な手続きもまた外交関係もかなり無理をして積み重ねられてきたもしくは、突き崩されてきた状況であったかというふうに考えております。それまで県と各市町の関係性は非常に良好であったものが、ここで全国で一番県と市町の関係性が悪い県ということを総務省が後援するぐらいの状況になっていたということは、やはり印象的な事件であったと思っております。我が国は法治国家でありますので、そのポピュリズム流されて何でもかんでも多数決で押し切れば良いというものではなくて、政治は少しずつお互いに情報を引き出しながら合意に近づけていくという、この先の長い営みであるというふうに認識しておりまして、それはそれぞれの関係者がもう血のにじむような努力をしなければならないわけですが、一言で民意だということで押し切られてしまうと、先ほど言いましたように法治国家の中で契約で動いてるものがすべて覆してしまうということで、行政に対する信頼性、信用というものが失われてしまう可能性があった大きな事件であったと思っています。当時は八ツ場ダムが凍結されたりというようなことで大型事業に対する見方が非常に厳しい時代ではありましたけれども、将来を見越して何が何のどの投資が必要なのかということはその時々の政治家が責任を持って判断をする必要があるものでありましてそれを民意だからといって、有権者に安易に返してしまうということは、政治家としてはそんなに点数の高いやり方ではなかったのではないかと思っています。

先ほど申しましたように私もともと県の職員でしたから、県庁の中も十分に知りながら、そしてお隣の栗東市さんの厳しい状況も知りながら調整役として動いておりましたけれども、表向きには報道の中では栗東市と二人三脚で動いてる推進派のようにとらえられていたのかなと思っています。ただ最終的に県に大きな損害賠償の請求がない形で中止の判断にこぎつけられた、また栗東市としても承服できないという状況であったものが、最終的にはやむを得ないところまで来て曲りなりにも表向きは、その自治体間、県と栗東市の間においても、断交ということではなくて、ある程度この意思疎通ができるような状況をつくれたというのは非常によかったことではないかなというふうに思っております。それからもう1点全国市長会においては先ほど申しましたように幼児教育保育無償化の課題が、これも政治レベルで方向性だけ示されて国の官僚組織としては全く機能していない状況でありましたので、全国市長会が全面的に協力をして制度を設計に携わらせていただいたという稀有な状況であったと思います。国においては保育現場、また幼児教育現場の動き、制度、システム、そういったものが全く理解されてない中で動いておりましたので、全国の自治体から職員を東京に派遣して一つずつ積み重ねていったということがありました。それだけしていても国は特に財務省ですけれども、半分地方が持てというような無体なことを言っておりましたので、それも全国市長会の総力を挙げて国に対して厳しく対応してある程度のところで、国も痛みを分かち合ってもらうというようなところで、手打ちをさせていただくようなこともありましたので、その点は飛行を印象に残っております。

市内においては、やはり一つは道路問題が一定解消されたということでありまして、当時もう生活道路の中に車が大量に流入しておりまして、子どもたちが通学のときにランドセルにバックミラーを当てられない子どもがいないぐらい非常に危険な状況でありましたけれども、現在はそれが一定のところで落ち着いてるというふうに考えております。

その子どもたちが通う学校については、今地域で包み込んでいただいたり、また特別支援教育であるとか外国籍児童生徒の対応であるとか、様々な面で文部科学省に注目をされてるような学校教育現場、教育環境を作っていただけたということについては、就任した時の学級崩壊だらけ校内暴力だらけの状況から見ると、言ってみたら信じられないような状況でありまして、この間血のにじむような努力をしていただいた関係者の皆さんに心からお礼を申し上げたいというふうに思っております。

 

記者:市長がですね、市長室で机に足を上げて寝ていることができる市役所づくりを目指してきたと就任当初からありますけれども、これはなぜですか。

 

市長:多分、質問来るかなと思っていました。要は、市役所も官僚組織でありますので、基本的には自律的に仕事をしていただく必要があると思っています。ただ先ほどちょっと長いお話をいたしましたが、私の前任者はその組織をずたずたにしてしまっていましたので、組織としての意思決定ができないような状況のまま最初の町長の仕事をさせていただいていたということであります。ですから大きな方向性だけ出しておけばあとは市長は市長室で居眠りをしてても回るんだ、というぐらいしっかりした組織を作っていきたいという意気込みでずっとこの17年半取り組ませていただいておりました。最近はしっかりとこのシステムをでき上がって、職員の意識も十分そういった自律的に物事を決めて、動かしていくという方向性になってきたのは非常に嬉しいことであると思っています。

実は町長であったときまた市長になってしばらくの間は、有視界飛行で超低空飛行をしている状態だとずっと言っていました。ですから操縦かんを一時も離すことができず、また前を見るのもまばたきすらできないような状況で、超低空飛行をしていたなと思っておりますけれども、もう今は高高度で計器飛行ができるような状況を担ってきたかというふうに思っておりまして、こういった状況が今後も続いていくと、非常にありがたいことだと思っております。

 

記者:では現時点でもう市長が市長室で机に足を上げて寝ていることができる市役所になっているというようなご認識でしょうか。

 

市長:まだそこまでは至っていないですね。ですからそれを目指してきたというお話をさせていただいたわけでありまして、別に悪く書いていただくわけではないですよね。比喩として言ってるわけでありまして、実際に机の上に足を上げて寝ているわけでは決してありません。フェイスブックずっと見ていただくとわかるように、ほぼコマねずみのように働かされておりますので、そういったことにはなっておりませんけれども、少しはそれぞれの組織で考えて動いていただいているということでありますので、細かなところまでは市長がいちいち指図をする必要もなくなってきたというふうに考えております。

 

司会:他はいかがでしょうか。

 

記者:いつも同じことを聞いているようで恐縮なんですが、次の市長さんにおっしゃりたいことあるいは次の市長さんをどう評価されているのかをお聞かせください。

 

市長:次の市長には丁寧に仕事をしていただきたいと思います。また職員組織も大切に扱っていただきたいと思っています。市民の方を向いて公正透明な姿勢を目指していただけるとありがたいと思っております。

 

記者:今回の論点に若干なりましたが、新庁舎の問題について現時点でどうしてほしいとかどうするべきだとかいうお考えはございますでしょうか。

 

市長:もうそれは7日以降は次の方がお決めになることですので、私の方から申し上げることではないと思っております。

 

司会:他にございますか。

 

記者:まず冒頭の発言について何点か教えていただきたいんですけれども、一連の数々のお仕事を挙げていただきましたけれども、一連の仕事を進めていく上で、特にどういうところを大事にしたか、先ほども合意形成を図る上で互いに情報を引き出す部分とかそういったところあったと思うんですけれども、ポリシーとして大事にされていたという部分を教えていただけますか。

 

市長:まず職員組織については、法律制度をしっかりと読みこなして公正に運営をするということが大事だということ、また物事に優先順位をつけて、未来将来の目標から逆算をして仕事をしていくということ、さらには市民の意見を十分に聞いて仕事をしていくことというようなことを訓示などでは指導をしながら進めてまいりました。それとともに私個人としては先ほどもお答えをいたしましたけれども、やはり対外的な部分で非常に激動というかですね、いろいろと国における政権交代であるとか、もう一つ前の小泉改革での財政窮乏からの国における政権交代、さらには東日本大震災、そしてまた現在の状況というようなことで、二転三転するような大きな環境変化がありましたので、それに基づいていろいろなアクターの動きが今までと違う動きになってきていましたので、それをいかに調整していくのかということに腐心をさせていただいたかなと思っています。そういった際にはやはり民主的手続きが一番大事だと思っていますので、やっぱり説明責任が非常に大きいと思っておりますし、それができていないというところについて厳しくお話しをさせていただくと、批判してるとか不満だとか反発だとかいろいろと書かれておりましたけれども、やはりそこの部分についてはポピュリズムではなくてしっかりとした目的合理的な判断が求められるというところであったかなと思っておりますので、いわゆる信頼関係とか信用の構築というところが大事だったというふうに考えております。

 

記者:今お話していただいたところの前段にあたる部分組織の部分なんですけれども、やはり法律に基づいた公正な組織運営が必要だという点については、これはご自身がその県職員として働いた経験をもとに、そういった必要性を感じられたということなんでしょうか。

 

市長:県職員としてもそうでありますし、公務員全般がやはり法令遵守は当然のものだという思いがあります。ただ、例えば平成8~9年あたりに、官官接待とかカラ出張とかということでかなり地方自治体が叩かれた時期もありましたし、そのあと現場における綱紀粛正等が非常に大事なテーマでもありましたし、それを行政が守らなければ住民に対して示しがつかない、もしくは信頼を寄せていただけない、さらには安心していただけないということだというふうに考えておりましたので、冒頭に申しましたように、見える安心見られる緊張ということで、職員一人一人それぞれが考えてもらわないといけないということをお話しさせていただきました。実は私の前任者がかなりパワハラ的な動きをしてましたので、私が就任しても誰1人説明に来ないような状況でした。紙ペラ1枚の起案文書だけが毎日、10センチぐらい積もって、それを見て毎晩12~1時までその文章を直してから判をついて返してたんですけれども、それではもう埒が明かないということで幹部職員に対してどこに問題点があるのかレポートを出してもらいまして、それを見ると大体問題点を自分たちもわかってるじゃないかということで、それをもう一度噛み砕いて全体として整理をして、もう一度幹部職員に返してそれをどう考えたんだということでやりましたら組織としてきちんと動くようになってきたということがあります。ですから法令順守ということは、公務員のお仕事の根本だというふうに認識をしてます。その意味で言いますと、先ほどもちょっと触れましたけれども、政争に県組織が引きずられてしまって、今までの組織対組織の約束を破るということを県の職員が率先してやるということは、これは県庁の県庁としての信頼度が落ちてしまうということで、非常に辛口で指摘をさせていただいたこともありましたけれども、それ県であろうが市であろうが、また国であろうが、同じことであるというふうに考えております。

 

記者:これちょっと繰り返しお聞きしてる内容にはなるんですけれども、今後についてまだ50代とお若いですし、政界に復帰する考えなどございますでしょうか、湖南市政携わる考えがあるかどうか教えてください。

 

市長:以前もお話したと思うんですが辞めるのにほぼエネルギーを使い果たしてしまいましたので、とりあえずここ2ヶ月は仕舞方準備ということでその仕舞う作業に没頭させていただいてました。ですからちょっとまだ今後のことについては考えていない状況でもあります。さらに今現職ですので、まだそういったお声がけというのも特にありませんので、明後日までは全力で市長の仕事をさせていただいて、そのあと少しゆっくりさせていただいて、それから何か自分にできることがあるのかないのかということは考えていきたいなと思っております。

 

記者:一部で国政選挙に進出するご意向があるんじゃないかといったようなお話もありますがそれについてはどうですか。

 

市長:どなたが言っておられるのかを教えていただければ、間違ってますよって言いに行くんですけれども、私自身は聞いたことがないので、ここでは否定はしておきますけれども、将来のことはわかりませんので、先ほど言いましたようにまだ現職なのでそんなことは何も伺っていない状況ではあります。ただ本当に政治がいいのかどうなのかっていうこともありますので、やっぱりそこら辺は自分の将来のことでありますけれども、いろいろと教えていただいたり指導していただいたりする人がああいうのであれば、そういうお声も伺っていこうかなとは思います。

 

記者:すいません今の質問にちょっと関連してなんですけれども、少しゆっくりして、今後はなにが自分にできるか、自分にできることを考えていきたいっていうことでしたが、もう少し何か具体的にこういうふうにゆっくりしたいとかどっか行きたいですとか、今後の何かそういったことはありますか。

 

市長:とりあえずこの17年半嫁さん孝行をしてませんので、嫁さんとゆっくりしたいなと思っております。今後についてはいろんな選択肢があると思いますので、ゆっくり考えさせていただきたいと思っています。政治に限った話ではなく、もともと事務屋ですしさらに研究もしてた時期もありましたので、いろんなことができるのではないのかなとは思ってます。フェイスブックに大量の文章なんか垂れ流してますので、文筆もできるんじゃないかと思いますし、そういう意味でまた皆さんからのお声がけを待っている状態なのかもしれません。

 

記者:この間都構想の住民投票がありまして、結果はともかく大阪市の方が自分の自治体がどうあるべきかということを考えるきっかけにはなったんだろうなと思っているんですが、なので投票するというのはとても大事なことだなと思ったんですが、蒸し返すようで恐縮なんですけど、今回の市長選で市民が投票する機会を得られなったのはあんまりよくないことではないと思って、唐突に立候補を取り止められてそういうことになったんですが、その判断を今どう評価されてますでしょうか。

 

市長:今もおっしゃったように投票する機会があって考えるということができるのは良いことだと思います。ただ今回の選挙についてはその争点をほぼなくしてですね、ドロドロの選挙になりそうだなというふうな思いがありましたので、市民を巻き込んではいけないだろうと、政策論争ができるのであればそれはそれに越したことがないと思いますし、それで選挙に突入するということは可能だったと思いますけれども、今回はそうではなかったということでありまして、やはりここまで育て上げられてきた湖南市の中にまたその人的な分断を持ち込むということについては私はちょっと承諾しかねたということでありますので、こういう判断をさせていただきました。投票する機会を作ることについては言ってみれば誰でもできるわけでありまして、今回の選挙は反谷畑をどう作るかということしか目標になかったわけですから、私がどかないと言ってみたらドロドロの選挙に市民を巻き込んでしまうことにつながったと考えております。ですから私でなくても特にまた湖南市に住んでいなくても立候補ができるわけでありますので、ですから政策的にそこで対抗対立軸が作るのであれば機会としてはつくれたのではないのかなと思っております。

 

司会:他、ありますでしょうか。

 

記者:二つあります。市長になられて17年で崩壊した財政を立て直して、教育現場も建て直し、言っては悪いですが地味な市だと思うんですけど、いろいろ売り出すようなことをやってきて、だと思うんですが、その上で今回辞めるにあたって、新庁舎はどうなるかわかりませんけど、実施設計は終わってますし、他もいろいろやってるんですけれども、この最近の市の課題、次の課題はどういったところにあるのかというのを聞かせてもらえばと思います。

 

市長:まず、喫緊に取り組まなければならないのは、新型コロナウイルス感染症の影響として出てくる財政対応だと考えております。来年度の税収については、その通りになるかどうかはわかりませんが、リーマンショックの時の試算、リーマンショックの時の状況を基にした試算を出しておりますので、それを元に財政構造改革がおそらく必要になってくるのではないかと考えてます。ただ国の地方財政対策がしっかりしていればそこまでする必要もありませんし、菅内閣も早急に第三次補正予算を組むということを言っておりますので、その中において一定対応できる部分も出てくるかもしれませんから、この財政問題については今のところ未知数だというふうに考えております。ですから庁舎について一旦決定時期を先送りしましたが、財政状況の好転状況によっては再度ゴーサインを出すと環境ということはあり得ると思っています。

それから、道路問題につきましては国道1号一般の4車線化は令和6年までの、以前の予定であった国民スポーツ大会、全国障害者スポーツ大会に間に合わせるための、国道1号県道山手バイパスの整備の後ということになろうかと思いますので、それまで息の長い対応が必要になってこようと思います。今すぐ道路を作るといったってすぐにはできないわけでありますので、これは長い年月の経過で進めていくことになります。また同じことで中郡橋の下流に新しい中郡橋をかけるということにつきましても現在、県において予備設計までしていただいておりますので、今後都市計画決定そして用地買収、実施設計というところまで行こうと思えば、やはり数年ではできない事業でありますので、道路を造る、橋作ると簡単に言っても、それは息の長い取り組みとして対応しなければならないことでもあります。それからの石部駅のバリアフリー化ということにつきましても、地権者のご理解をいただきながら進めていくことができるような状況にはなっておりますけれども、これも新型コロナウイルスの関係で国の財政状況がどういった方向性に転ぶかわかりませんので、国費がどれだけ投入できるかということも含めて市の全体の財政に与える影響ということを十分勘案していく必要があろうかと思っています。

それから心配事といえば教育現場でありまして、次の方が学力日本一を目指すということをおっしゃっておられましたので、教育現場は非常に困惑をしたというか不安を感じておりました。今の教育は2極分化してますのでフタコブラクダで成績のよい子どもたちだけを伸ばせば良いということではなくて、成績の下位の子どもたちの学力をいかに底上げするかということが国全体としての大きな課題となっておりますので、ちょっと昔の発想ではないのかなと。それは平成26~27年の頃に事業レビューで財務省が文科省から教職員定数を大幅削減しようとした時に、私が全国市長会の中で大声を上げて、全国知事会にも呼びかけてその教職員定数の削減を止めて、さらには定数計画を作ってきちんと対応するとした国の政策にも真っ向から反対する流れになりますので、平成29年度以降文部科学省の初等中等教育局の予算は湖南市の取り組みに準拠して組んでいただいている一人ひとりの子どもに寄り添って対応していくそういった教育になってますので、そこの根底を崩していただくと、また平成14~15年の頃の非常にこう、今せっかく優秀な先生たちが湖南市にぜひ来たいと言って希望を出していただいてるんですけれども、それが忌避されるような状況になると非常に心配だなと考えております。

 

記者:最後はおまけの質問ですけど、市長が辞められてザキヤマ補佐の非公式チャンネルはどうなるんでしょうか。

 

市長:どうしたらいいと思われますか。あくまでも非公式ではありますけれども、やっぱりそこに出演している本人の意向もあると思いますし、あまり次の人のノイズになるということもどうだろうかと思います。次の人が撮影をしていただくのが一番いいんだろうと思いますけれども、それはちょっと難しいのだろうと思いますから、そこはまたザキヤマ補佐に質問していただいてもいいのかなと思います。そこら辺のところはですね常識の範囲内で判断をさせていただこうと思います。

 

司会:他よろしいでしょうか。ないようでしたら、市長の定例記者会見を閉じさせていただきます。ありがとうございました。

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