令和6年8月6日定例記者会見

更新日:2024年08月06日

このページは、市長定例記者会見の内容を秘書広報課でまとめたものです。

【市長会見事項および資料提供】

劇団こなんヒストリア ゲスト出演者をお迎えして特別公演を開催します

令和6年8月度 定例記者会見記録

 

 

司会:定刻となりましたので、令和6年8月度の市長定例記者会見を始めさせていただきます。それでは市長、よろしくお願いいたします。

 

市長:お暑うございます。暑いですな。昔こんなことなかったんですけどね。溶けますわほんまに。この暑い中でコロナの11波。これは収まりません。収まりません。もう一遍注意喚起しながら、基本的な注意事項は、ちゃんとお互い守りながらやっていきたいと思いますが。昔は暑いときにインフルエンザは流行りませんでしたけどね。世の中変わりましたなあと。これが2つ目でございます。それから3つ目としましては、この秋に湖南市になりまして20周年を迎えます。10月6日にいろいろセレモニーさせてもらうつもりをしておりますが、それの準備に入ろうと思っております。何卒皆さま方のご協力をお願いしたいと思っております。よろしくお願いいたします。以上です。

 

司会:続きまして本日提供させていただく資料について担当よりご説明をさせていただきます。本日の案件は1件でございます。資料提供1つ目「劇団こなんヒストリア、ゲスト出演者をお迎えして特別公演を開催します」につきまして秘書広報課からご案内をいたします。本公演は今年市制施行20周年を迎える湖南市において、20周年記念の冠称を使用された事業でございます。本公演につきましては、記念式典を行います10月6日の日曜日、午後に2回、石部文化ホールにて開催されるものでございます。本公演の詳細につきましては、本日は劇団こなんヒストリアより、主催者が来られておりますので、そちらの方からご説明の方をさせていただきます。

 

主催者:皆さんおはようございます。それでは、これまでのこなんヒストリアの簡単な取り組みと、今回の舞台公演の「さいはての大地夢遥か」の説明を少しさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。私たち劇団こなんヒストリアは、前身が商工会女性部から、まちの歴史、まちおこしのために、まちの歴史を劇で紹介しようということから始まりました。それでこの公演の5年前まではボランティアとして、商工会女性部として、活動しておりましたが、たまたま、この10年前の湖南市制10周年記念事業の年に、大阪の松竹新喜劇の、俳優さんと共演舞台をするという企画が持ち上がりまして、そこから始まりまして、特別公演は今年10年目になります。もちろん、湖南市のいろいろな地区の歴史を基にして、松竹の脚本家の方が、いろいろ地元も調べていただき、それをもとにして脚本を書いて毎年石部文化ホールで公演をさせていただいております。今までに石部編を5回ほどと、菩提寺編2回、それから平松・三雲編1回、というふうにさせていただきまして、今回は湖南市の下田地区のお話でございます。下田地区は明治時代、北海道の比布町に開拓に行かれたという歴史がございまして、それをもとに今回は脚本を書いていただきました。脚本を書くにあたって、今回は北海道比布町の方にも脚本家と、出演していただく俳優さん2名と、取材に行かせていただいて、脚本が書き上がって、今練習の途中でございます。よろしくお願いいたします。

 

司会:今回のテーマは比布町に開拓に行かれた、昔のお話をもとに作り上げられた公演となりますので何卒よろしくお願いをいたします。案件の説明は以上でございます。質疑に移らせていただきます。この件につきましてご質問ございますでしょうか。

 

記者A:ストーリーなんですけれども、概略でいいんでどんな形なのか、どういうような物語なのかというのをちょっと教えて欲しいんですけど。

 

主催者:ストーリーの内容は、今説明しましたように、明治26年ぐらいに、下田の歴史を調べさせていただくと、人口が増えたということと、下田の土地がもともと丘陵地で田畑ができにくいという2つの問題があったようで、人口問題で小学校の移転問題いうものがあったようです。それで、子どもの数が増えて、どこに小学校を移転しようか、という話です。それと、土地面積が少なかったので、とれるお米や作物が少なくて小作人ということで、非常に生活が貧しい中で、それじゃあ北海道に開拓に行こう、というお話が持ち上がって、当時谷定徳さんという方が、北海道に行かれる方を募りました。その頃、北海道に移住しませんか、というお声は国からかかっていたようで、開拓団ということで、当時80人近くの方をまず連れていって、開拓してそこに住まわれて、今現在もその子孫の方が比布町に住んでおられるという現実があるようです。

 

司会:他ございますでしょうか。

 

記者B:今、劇団員の方というのは何人ぐらいいらっしゃって、やっぱり湖南市内の方中心なのか、教えていただけますか。

 

主催者:もともとのメンバー、この劇団こなんヒストリアという既存メンバーが、今年に関しては5~6人いまして、あとは湖南市内以外から来ていただく方が5人ぐらいいらっしゃるのと他から来ていただく方は、他の市民劇団に入っておられる方もいらっしゃるし、全然劇の経験がないという方もいらっしゃいます。

 

記者B:県内から来られる方もいらっしゃいますか。

 

主催者:県内とは限らず、今年大阪からお見えの方もいらっしゃいますし、過去には京都からいらっしゃった方もあります。もう1つ加えるならば、去年までは子役も参加してたんですけど、今年子役の応募をしたら無かったので、今年は子役の出演はないということと、もう1つ、もともとこの歴史劇をしたときに、ゆるキャラを使うことをテーマに、ずっとボランティアからしてたので、この公演になってからも、いしべえどんとかゆるキャラをずっと使ってたんですけれども、今年はゆるキャラを使う部分がないといういう形になっています。

 

記者C:今回は松竹の方以外でこなんヒストリアと、それ以外の方で何人アマチュアの方が出るんですか。

 

主催者:アマチュアは14人で、松竹新喜劇から1人、元OSK、日本歌劇団から2人です。

 

記者C:こなんヒストリアも含めてアマチュアの方が14人で、それ以外にプロの方が3人で17人ですか。

 

主催者:17人です。

 

記者C:前身の商工会っていうのは、湖南市商工会ですか。

 

主催者:湖南市商工会女性部がもともと県の商工会がまちおこしで何かをやってくれ、というお声がかかりました。

 

記者C:いつごろですか。

 

主催者:平成20年頃です。町おこしのために、ちょっと余談になりますけど滋賀県の商工会とかは、地産地消ということが叫ばれてたときだったので、そういう土地の作物を加工して商品化するということをまちおこしということでされてたんですけど、私たちは違った観点で、歴史劇をしてまちおこしをしようかという、特に石部学区は東海道五十三次の宿場町でもありますので、そこのところをとらえて、歴史劇をということでさせていただきました。

 

記者C:10年前から松竹とコラボしてやってるんですけど、何か市制10周年というきっかけがあったと思うんですけど、何か松竹と組んだ縁があったんですか。

 

主催者:10年ほど前の平成26年には湖南市は、地域おこし協力隊という制度を取り入れておられたんです。その時の協力隊の1人が京都から来ておられた方で、その方が新喜劇の俳優さんと親しくされていたようですので、そこから俳優さんとお芝居をしないかって、ということを繋いでいただいたということです。

 

記者C:わかりました。ありがとうございます。

 

記者D:こちらのチラシの方でゲスト参加の皆さんが3人紹介されてまして、3人とも昨年もヒストリアの公演に出演されてるとありますけどもそういうことでよろしかったでしょうか。

 

主催者:毎年メンバーは少しずつは変わってるんですけれども、今年に関しては去年のこの3名の方と、一緒の方が出演される予定です。

 

記者D:わかりました。それとあと先ほど説明の中で北海道の比布町の方に事前取材に行かれたというお話がありましたけれども、それがいつごろ行かれましたか。

 

主催者:4月の半ばです。

 

記者D:ゲストの方も一緒に行かれたというふうに言われましたがどなたが同行されましたか。

 

主催者:このゲストの3人の中で、一番左の曽我廼家さんという方と、一番右の鈴峯さんという方に同行していただきました。

 

記者D:一緒に比布町での取材をされたのですか。

 

主催者:本を書いていただく脚本家の方が主に取材されました。

 

記者D:取材内容としては、下田から比布町に開拓民として移り住んだ方の子孫の方にお話を聞くとかそういう取材だったんでしょうか。

 

主催者:たまたま子孫の方が比布町の役場におられたので、その方に面会したこともありますし、あと比布町の歴史を詳しく調べておられる方にもお話を聞いて冊子もいただいたとか、それから脚本家がもともと下田と比布町の歴史を調べ上げておられたので、こっちにも手に入らない資料とかを、比布町の図書館に行って、こういう資料があるから探してくれとかいう形で取材をいたしました。

 

記者D:わかりました。それを曽我廼家さんと鈴峯さんも同行して、この2人はその取材に関して、どのような立場で、どのようなお話を聞いたとか何かその役づくりに関して何かあったんでしょうか。

 

主催者:歴史の流れを現地に行って、一緒に聞いていただいて、それぞれの役者さんの役づくりの参考にしたいということで、同行していただきました。

 

記者D:わかりました。ありがとうございます。

 

司会:他ございますでしょうか。

 

市長:比布町さんとは今も連携しておりまして、この前の下田商工夏祭りも来ていただきました。今の比布町との付き合いを説明して。

 

総合政策部長:比布町でございますが、北海道旭川の近くにございます。谷定徳さんが下田の20戸ほどの方を連れられて、比布の方に入られたというな形でございます。そうした中で今も友好交流は続いておるところでございます。友好交流を結んでおりまして、下田の商工夏祭りには、毎年比布町の方から来られてるというような形でございます。あと災害応援協定も結んでおるようなところでございます。友好交流を結んだのは、2004年の12月に改めて湖南市と比布町が友好交流を再確認しておるところでございます。以上です。

 

司会:他ございますでしょうか。それでは案件についての質疑を終わらせていただきます。説明いただきましたこなんヒストリア様はここでご退出をさせていただきます。ありがとうございました。続きましてその他でご質問を承りたいと思います。

 

記者A:市長にお伺いします。庁舎再整備を考えるタウンミーティングが始まっています。3回あって、一部の党派の人の声も大きかったような気もしますが、いろんな意見があったと思います。この庁舎を残してくれという声もあれば、新しい庁舎の方が良いんではないかということもありました。ここで3回やってみて、率直に市長がどういうことを考えて、市民の皆さんの意見を聞いてたのかっていうのを聞かせてもらえればと思います。

 

市長:4ヶ所のうち、この前3ヶ所目で、残りはあと1回あります。いろいろ意見は出ますけども。いろいろありますけれども。他の意見もいろいろな所でいろいろな形で意見を聞かなきゃならないと思いますし、その時間はあります。最終的に意見がまとまるのは大体、来年の1月と思っています。そして来年の3月、市議会に提案させていただいて。それまでにも何回も何回もいろいろな所で話しを聞きます。議会の議員の皆様の意見も聞きます。それでもって、結論を出したいという風に思います。結論ありきというような、そういう質問あったんですけど。いろいろなアンケートをとりながら、タウンミーティングをしながら、いろいろしながら、最終的には決めていかなきゃならん時期になってくるという風に思っております。そういうことです。

 

記者A:説明聞いてたんですけれども、市長の今のところの方針は、3年前か2年半前ぐらいに言った、耐震プラス増築ということから変わってないですか。

 

市長:一旦立ち止まるっていう話をずっとしていて。前任者も立ちどまってくれたと思っています。工事が始まって、いろいろしてたら立ちどまるということも難しかったと思っていますが。そういう面では、前任者も配慮してくれたなと思っています。私ももう一遍考えようやという風に思いました。その結果としてIS値ですね。平成11年から18年、その後平成28年、今回、3回見直しをかけたわけであります。1回目のIS値が0.52。2回目は出ませんでしたね。今回IS値は0.22。3次調査までして、どこに問題があったかということがわかりました。1回目、2回目はもちろん問題は出ませんでしたし、今回3回目の結果に、えーと驚きました。これが1つ。それから自然災害への対応がきついなということが2つ目。それから、新たなる感染症に対する対応の仕方。このへんも加味して考えた場合、我々が考えてる以上に、時代の変わり目というのは激しいなという風に思っております。そういう面から言うて、断ることなく、考え直さないといけないところも出てきているかなという思いもしておりますが。湖南市の人口も、現実にはさらに18,000人減る可能性がありまして、36,000人の人口となりうることを一応頭に描いていろいろ設計していかなくてはいけないというのが事実であります。その時に、身の丈に合ったものを次の時代に準備しなければならないということも考えの1つであります。そういうことを正直言ってるんですが。正直言ってね、今あるものをね、無くすということは難しいことだなと思っています。無くすことに抵抗が強いなと。言葉としてはね、2つあるものを1つにするという言い方をするとね、やっぱりどぎつく聞こえるねんな。丁寧に説明してるねんけれども。やっぱり難しい面もあるけれども、腹くくらなきゃならんというところは確かに、記者Aが言うようにありますわ。しかし、難しいと言うてられへんしな。維持管理するお金ってごっつあるしな、かかるしな。新築しても、またお金もかかるしな。皆さんご意見聞いてからと思っておりますが、タウンミーティングでは正直言って、結論ありきって言わはるしね。もうちょっと考えておくれって言って、話をもうちょっと聞いてな、ちょっと弾力的に考えてって言うんですけど、そしたらまたみんなに怒られると思うんですが。難しいなと思ってやっています。もうちょっと時間かけて、今申し上げましたように、来年の3月には、一定の結論というものを出さなきゃならんという風に思っております。

 

記者A:今の話を受けてですね2つあります。2021年、令和3年の多分11月だと思うんですけれども、市長が耐震増築の方針を出して、その後、耐震率をもう1回測って低かった、自然災害の地震もありましたし、そういう事情はよくわかりますしそこは理解します。一方で、だとするならば、方針を出す前に耐震化率を測っておくべきであったのではなかろうかと。それであれば、もう少し早いうちに方針が固まったのではないかと思うんですけどそこはいかがですか。

 

市長:ある面から言ったら、今質問されたことは合ってると思いますが。反省はしてるんですけどね。私にとりまして、或いは、もう一遍見直しをかけたということについては、私は無駄ではなかったと思っております。時代もだいたいわかりましたし。もう1つは自然災害の頻発、それから新型の感染症に対する考え方。全然考え方が違います。対応の仕方が。そういう面から言ったら、頭を下げるところは頭下げながら、理解を求めて前へ進もうという風に思っておりますので。そういう面では、開き直るつもりは何もないんですけれども、やむを得なかったかなと思っております。その間に人件費や材料が値上がりした。あとは、タウンミーティングにもありましたとおり、どう財源を確保するかというところ。最終的には、今現在の湖南市の持ってる力をもって、年間大体2億5~6,000万円の一般財源をもって、あとはいろんなところで工面するということでいけるとふんでいます。どんだけコンパクトなものにするということを十分考えながら。そりゃあええもん欲しいわいなみんな。床面積だってそこそこ余裕のあるものが欲しいわ。しかしながら、ここの人口36,000人に減るということも予想されるから。頑張るで、減らさんようには。しかしながら、減っていくのや、なんぼ頑張っても減る。そう思ってやってますので。ごめん。回答にならんけれども。腹の内割ってちょっとでも多くの人と相談しながら一定の方向を見つけなきゃならん。その時には、もう何割かの方、何%の方はおそらく言い続けるやろなということを覚悟しています。出席してくださる方は、これ聞いたろって腹決めてタウンミーティングに来ますし。説明してるのも、最初の説明で言ってるやんかと思いながら。ある部分の人は聞かはらへんもんな。それで言ったらあかんこと言うたんや。市民って私も市民やって。あれは言うたらあかんことやと思いました。悪かったなと思ってる。

 

記者A:いや別に聞いてましたけど、きちんと対応できてたんじゃないかと私は思いますが。言うところは言った方がよろしいかと思いますので私も。それともう1つ質問です。今ですねこの方針を固めるに時期について、来年1月、3月、ていう話が出てきました。確か4月の会見だったと思いますけど、市長の言葉から、私の今回の任期中に、という言葉も出てました。今回の発言というのは、任期中に限らず、3月にしっかり決めるというような理解でよろしいでしょうか。

 

市長:逆に、質問しはるかもしれへん。お前の首が繋がってる間は、この10月まで。しかしながら、取り決めが1月、3月やんかと。どないすんのやという質問が出てくる可能性だってあるかもわからんですよね。そう思ってます。そこのところは十分話し合うところやと思ってます。もう1つ質問しはる想定の中に、今度の市長選挙どうすんの、っていうのあるでしょ。

 

記者A:その後で聞こうと思っていました。

 

市長:そこへ持っていこうとしはるでしょ。それはそれや。だからコンサルタント業者との契約内容が1月やもんな。そうなってるんやわ。3月の市議会に提案してという形になると思います。議会の方もこの問題に対する特別委員会を設置するという風に内々で聞いています。そういう段取りでいきます。

 

記者A:ちょっとしつこいですが、契約が1月っていうのと、3月議会に提案するっていうこともすごい理解できます。一方で、方針を決めるっていうのは、やっぱり政治家として、任期中にやるっていう、前に市長の話を聞いて、それもすごく理解できました。そこに向かって進んでいくという意味で。なので任期中で方針をまだ出さないという理解でよろしいでしょうか。

 

市長:首が繋がってるのは10月まで。それでそこで決定したら、どこに意見聞いたんやって怒られるやんか。聞かなきゃならんし、時間はある程度必要やし、まだ足らん、タウンミーティングもう1回やれって言わはる人もいる。だからどこの決とるんやとまた怒られるし。言い方悪いけれども。あるところで結論、議会と相談しなきゃならん。10月までに結論つけたらそれは怒られるわな。だからそういう面では10月まではよう決めんわ。決めなきゃならんけれども。そんなん無理やわ。ごめん、悪いけれどもな。とにかくIS値が0.22っていうのはショックやな。0.3以下っていうのは以前の彦根の市役所ぐらい。きついな。建物が倒壊するって言うけれども、崩れてしまっては入れないっていう意味ではないですよ。ひびが入ったりというのであって。そういう意味での倒壊です。倒壊というと、ぐしゃっと崩れてしまうイメージがありますけど、そうではないと思っています。

 

記者A:わかりました。そしたら市長自ら言ってましたけれども、やっぱりもうこの時期が時期ですんで、どう答えられようとこっちも聞かなきゃならないのが仕事ですんで聞きますが、選挙をどうされるんでしょうか。今の話だと、3月に決めるということであるんであれば、もう出ると言ってるようなもんと同じかなと思うんですけども、どうでしょう。

 

市長:そんな言うてへんて。あのね、さっきね、計算したんです。湖南市が投開票を予定してる日までに、83日あります。私が、ボーっとしてたのが悪かった。すっぱ抜かはりましたな、6月19日に。新たな女性候補者のこと。正式に記者会見されたのが、7月12日。早々としはったな。あの方と私って政治的なグループが一緒だったというのはご存知ですね。それなりにアンテナ張ってたつもりなんですが、すっぱ抜かれた日の昼前に聞きました。正直言うて仲間うちですよ。何の話しもなくて、相談をするかしないかは勝手でしょうけど。相談を受けませんでした。そういう面では、政治的な同じグループにいながら、昼間に来られた時、彼女曰く「ちょっとした手違いでした。」と。ましてや、同じ政治信条にいたグループとしては、やはりそれなりルールがあると思います。今のところ私ね、アンテナ張ってますよ。あんなこともうかなんので。今のところ私が聞いてる範囲内で4人ほどおられる。皆さん、それぞれの情報網使ってお調べください。今日もこの段階においては、すいません。未定。先ほど言いましたように83日ございます。未定。これでご容赦願いたいと思います。ただ、何か同じグループにいてて、いろんな会話してながら、しもたなと思って。もうちょっと相談に乗ってたらよかったのかなあと思いながら。彼女は自民党を出ました。議員もやめました。そういう形で追い込んだ責任は我々のグループにあったんだなと。というのが私の偽らざる気持ちであります。それ以上は申しません。彼女は彼女なりの思いがあったでしょうし。他で出られようとしている人は数名いるでしょうが。それなりの準備をしておられると思います。そんなんで我々は我々なりに検討します。だから今日の段階はすいません。申し訳ないけれども。未定。未定です。決まったらまた、こういう風にしますわということを広く皆さまがたにお知らせしていかねばならんという風に思っております。すいません。以上です。

 

司会:他質問ございますでしょうか。

 

記者A:全然別件です。これ、市長にお伺いします。甲賀消防の件が、この間7月の頭かな、最後の処分が出て、一応の決着をみたという形です。これまでの会見の中で、全部が終わってから、自分の責任を考えると、いうことがありました。それについてどういうふうに考えてらっしゃるのか、それを伺えればと思います。

 

市長:処分の問題やね。自分の処分。自身の責任。聞かはるやろなと思って。準備してますよ。微妙なとこあるからね。処分としては一定組合から発令されましたが、その後の再発防止策でありますとか、現在、外部の相談窓口の設置や署員向けの研修を実施させていただいており、行政組合へ甲賀市および湖南市から職員を1名ずつ出向させていただくなど、再発防止と市民の皆様の信頼回復等に鋭意努めております。管理者としては、私は一定の責任は当然あると思っております。しかしながら、行政組合の管理者といった立場で、県内にも他の行政組合もありますことから、先例的な事案等の処分なども調査中です。岩永副管理者とともに十分調整させていただき、また後日報告させていただきたいと思います。もうちょっと待ってくれへんやろか。調査して、他のところはどういうふうになったかということを調べたい。岩永君と相談しながら、結論を出していきますのでもう少し時間をいただきたい、こういう思いであります。

 

記者A:続けて、今回の処分じゃなくて前回の処分の時に、消防のトップに対してかなり厳しい話が出ました。特にその長いことトップにいた弊害ということが、第三者委員会でも言われてます。私もこれは最初問題が起こったときから思っていて、やっぱり5年っていうと、選挙で選ばれる首長ですら4年ですよね。ですから、そういう意味では極めて長いと思います。本来だったら3年ぐらいやってもらう。大分若いうちからされてるので、そこ難しいってこともありますし、そもそもそれを承認したのは誰だっていうのもあるんですけれども、3年ぐらいやってから行政組合の事務局長あたりにいっておけばもしかするとこういうことにはならなかったかもしれないなというようなことも思ってます。ご質問なんですが、市長が20年の秋に市長になって、その段階で2年か3年だったと思うんですけれども、そういう意味では市長がちゃんと目配りをして、この5年というのをさせないということをしておけば、もしかするとこういうことがなかったかもしれないと思うんですが、そこはどうでしょうか。

 

市長:そう思います。組織の長が長いとやっぱり部下は忖度しますやん。どこでも同じですやん。特にああいう組織やしね。軍隊。言葉悪いですよ。軍隊、警察、消防というのはある意味においては違うわな。それ言うたら怒られるから言うたらあかんけど。違うって。消防はそれらと似た組織であって、日々やわな。毎日、毎日の積み重ねやな。恐らくは今言わはったように、最初はやっぱり、大体組織っていうのはそうやけどな。最初の数年間、そこでこうチェンジせなあかんのやろな。そうしないと、同じように彼も長かったので、彼の責任だと同時に、そういう組織にならざるを得ない弱さを持ってると思うな。そしたらそういう形になる危険性もあるわな。それをどう防ぐかという意味でいくと、やっぱり、交代しなあかんな。それは反省しております。すいません。

 

司会:他、質問ございますでしょうか。

 

記者A:事務方の方に聞きたいんですけども、市長の挨拶の中で10月6日に20周年のセレモニーをするというふうな話がありましたけど、大体どんなもんになるっていうのはもう話できてるんですかね。次の会見ときに説明していただけるんですかね。

 

司会:こちらにつきましてはまた次回の定例記者会見でご説明させていただきたいと思います。他、質問ございますでしょうか。よろしいですか。ありがとうございます。それでは令和6年8月度の市長定例記者会見の方を閉じさせていただきます。次回ですけれども、8月の23日の金曜日、午後2時からと変則な形になるんですけれども。こちらの大会議室の方で開催させていただきますので、どうぞよろしくお願いをいたします。以上でございます。ありがとうございました。

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