日枝中学校区編【エピソード1:新人保健師の視点】
「はい、湖南市健康政策課の谷です」
入庁1年目。私は保健センターに配属された。早く一人前の保健師になりたいから、焦る気持ちはあるけど、自分にできることを一つ一つがんばりたいと思っている。
電話での対応業務は、私が貢献できる仕事の一つだ。先輩たちへの取次電話がほとんどだけど、市民からの健康相談がきたときは背筋が伸びる。相談を受けるときの基本はとにかく傾聴。つまり、相手がどのようなことで相談したいのかを聞き出して整理することが最優先だ。
内容によっては、先輩にも対応の方法を相談しながら、私にできる精一杯の対応をする。 相談者に気の利いたことを言えたら...、とモヤモヤすることもあるけど、日々先輩の接し方を勉強中だ。相談者によって求めていることは異なる。話す内容や話し方、話す間の取り方も探り探りの毎日だけど...うん、でも共通していることは同じ。相手が悩んでいるということ。この保健センターが相談者にとって唯一の相談先かもしれないから、よりどころを失うことがないように気をつけている。今はゲートキーパー研修で学んだことを思 い出して精一杯に寄り添うだけだ。
湖南市の保健師は地域の担当を持っている。私は日枝中学校区の担当で、市の北東部に位置するエリアだ。下田地域と水戸地域に分かれている。
下田地域は、下田商店街として古くは栄え、多くの買い物客でにぎわっていた。現在でも昔ながらの個人商店が地域を盛り上げている。日枝神社は商売繁盛の御利益もあり由緒ある神社だ。地縁のつながりが強いことで会合が多く、お酒に合う塩分強めの食生活が原因なのか昔から高血圧の人が多い。特産品は下田ナス、弥平とうがらし、ぶどう。近江牛の牧場やキャンプ場もあり地域資源も豊かだ。
水戸地域は、1970年後半に県下有数の湖南工業団地が建設されたことによって住宅開発が進み、国内外からの移住者で形成された。今は他の地域よりも高齢化率は低いけど、必ずその波はやってきて避けられないから、早めに健康づくりを広めていきたい。外国人が地域人口の2割を占める多文化共生のまちだ。定住する外国人も多く、ブラジル人のコミュニティも形成されている。地域は受け入れる寛容さがあるからなのか、自分のものを他人に分け与えるおすそ分け文化が根付いてきていると感じる。下田地域でも昔ながらの地縁によるおもてなし気質があり、訪問の機会にはちょっとしたこころ配りが緊張をほぐしてくれる。
2つの地域を見比べると、下田には昔ながらの商店街で個人経営の商店も多く、水戸には製造業中心の県下有数の湖南工業団地がある。水戸は運動できる公園がメインストリートの近くにあるけど、下田は運動できる場所が少ないという特徴がある。2つの地域の連携をもっと進めることができたなら。
2023年に明らかになった日枝中学校区の健康課題は、運動に無関心な人の割合が市内 の他地域よりも突出して高く、肥満の人が多い。その結果、高血圧の人、特に男性で顕著に高いという健康課題があった。また、外国人が多いことが特徴的だが、これまで外国人に対応した健康づくりの取組は行っておらず、具体的な健康課題をつかめていないことに頭を抱えていた。
「Olá(オラ)!こんにちは!」
「こ・・こんにちは」
私はあわててあいさつをした。
今日は地区担当者として先輩の澤田保健師と会議に来ている。
「Olá!今日はよろしくお願いしまーす!」
先輩は慣れた様子で、ポルトガル語を交えてあいさつをした。 それぞれの言語で挨拶をする。笑顔は共通言語だって歌を聞いたことがあるけど、言葉が一緒ならなおのことお互いを分かり合える関係性を築けると私は思う。
この会議は、日本人、ブラジル人など多国籍で構成されていることに加え、地域の人々、下田商店街や湖南工業団地協会の代表者など健康づくりに関わるキーマンが集う。
「保健師の澤田です。今日の議題は毎年恒例の運動マップの更新で、皆さんから意見を 募るためにお集りいただきました。多くの人が関わって作成している運動マップは、地元の人にも新たな発見があるということでも好評だと聞いています。マップを見ながら歩く人が多くなって、今では運動習慣のある人が市内で一番多い地域となっています。」
話をかぶせるように、先ほど声をかけてくれたジュリアさんが、
「私も澤田さんの熱烈な誘いで健康推進員になってよかったわ。こどもが学校の給食で食べた日本食メニューのリクエストにも応えられるようになったしね。」
なるほど、こどもは給食で日本食になじんできている。でも、自分の家で食べたくても 作ってもらうことができないのだ。
他にも、日枝中学区は野菜摂取、食育への関心、実践の割合が低いという統計データが出ていた。
「日本食を一方的におしつけるだけでは交流が途絶えてしまうので、ブラジル料理を日本人が習うことで、お互いの食文化を知り、交流が盛んになってきています。ジュリアさんが、ブラジルの方と日本人との懸け橋になってくれていますから、本当にありがたいわ。地域全体に食育が少しずつ浸透してきた ように感じます。」
先輩が言うと、ジュリアさんは満面の笑みで「ドウイタシマシテ」と場を和ませるために片言で応え、おどけて見せた。
また、地域の農家が野菜摂取を増やすために、まちづくりセンターや軒先でお手頃に買える野菜販売に協力してくれているのもうれしい。そこには、野菜料理のレシピを添えている。
「工業団地の従業員さんも、運動マップを見て商店街にも来てくれる人もいてうれしいわ。」と、下田商店街の店主。湖南工業団地の企業には、従業員の健康を大切にした健康経営を進めてほしいと、歴代の地区担当者が熱い思いで保健師活動を積み重ねている。
すごい、みんなが同じ方向を向いてがんばったからこんな関係性を築けているんだ。
「それでは、新しく参加させてもらいます地区担当者を紹介します。新人保健師の谷です。」
いきなり振られた私は、焦って考える間もなく言葉が出てしまった。
「地域の皆さんの健康は私が守ります!どうぞよろしくお願いします!」
自分でもびっくりするほど大きな声が出た。
「・・・・(シーン)」
や、やってしまった。新人の分際でなんて大それたことを言ってしまったんだ・・・、と 顔を赤らめて下を向いた。
「頼りにしてるよ!」
と、どこからか励ましてくれる声が聞こえた瞬間、拍手で会場が包まれた。
先輩は横目で驚いた表情を一瞬見せた後、柔らかく微笑んで私の背中にそっと優しく触れた。
そういえば、相談されていた市民さんにも同じことをしていたのを見たことがある。
「大丈夫、大丈夫。」
先輩はいつもの通り私を落ち着かせるように笑顔で声をかけてくれた。
私は肩の力が抜けて、自然にフーッと息を吐くことができた。
なぜだろう。 先輩の手も言葉も魔法がかかっているようだ。
じんわりと温かくなる。
背中も、また、こころも。
基本データ

行動変容ステージ(無関心期・準備期)
・「運動習慣がない人」の割合が高い
・「禁煙をしたいと思っている人」、「生活習慣病を高める飲酒量を気にして摂取している人」の割合が高い



特定健診データ
・19~74歳の男性で血圧の高い人が多い。
・肥満の人が多い。
更新日:2025年03月28日