甲西中学校区編【エピソード4:統括保健師の視点】
「おいしそ~!」
調理台を囲む参加者から歓声が上がる。
甲西中学校区の地区担当である中山保健師と私は、市の管理栄養士の南野さん監修による健康推進員の料理教室の見学をするために、まちづくりセンターに来ていた。高齢者サークルからの依頼だ。
「私も家で同じ材料を使って料理しているのに、やり方次第で全く違う料理になるね。南野さん、すごいじゃない!」私は思わず声をかけた。
見た目がとてもきれいで食欲がそそる。もちろん味も折り紙付きだ。今回の献立は、少し手の込んだ食事のバランスを重視した健康レシピと、電子レンジで簡単にできる朝食用のレンチンレシピだ。
「長瀬保健師に褒めていただけるなんて、がんばった甲斐があります。参加者の皆さんにも喜んでもらえてうれしいです。」
管理栄養士は、栄養指導やカロリー計算、健康推進員との窓口や一般事務など一人で幅広い業務を行っている。
「今回の料理教室も打合せや調理方法の検討、情報の発信まで南野さんがすべてこなしているの?」
「どのような手順で進めるか仕組みをしっかりと作っているので、そんなに大変さは感じないです。もちろんその季節や場所に応じてやり方は工夫しています。」
食育に関する外部の視点を取り入れたいと、2024年頃から一般企業との交流が盛んになり、民間の方法を学び少しずつ実践に組み込んできた。
その結果、今では評判の料理教室となっている
私はベテラン保健師として全体の統括を任されている。
経験が浅い保健師のフォローをするために、甲西中学校区の副担当を兼務している。
甲西中学校区は、市の南東部に位置し、三雲地域で1つのエリアだから広い。
この地域は、JR甲西駅と三雲駅の2駅あり、駅周辺は市街地や住宅地で形成されている。
旧東海道沿いは生け垣を備えた住宅が多く、四季折々、植物と調和した街並みが美しい。天然記念物「平松のウツクシマツ自生地」、猿飛佐助が修行したと言われる三雲城址、落ちそうでおちない岩の合格祈願で有名な「八丈岩」、弘法杉など観光資源が豊富だ。地域が守る由緒ある寺院がいくつもあり、天井川の下をくぐる「まんぽ」のファンもいて、当時の東海道に思いを馳ながらリュックを背負って歩く観光客もよく見かける。
地区の東側には妙感寺や天保義民の碑、不動の滝など歴史・自然を感じる。
このような地域の資源を守り、育むには高齢者の力が必要不可欠だ。子どもたちも参加する伝統行事や地域のまつり・イベントなど企画から運営まで幅広くこなす地域づくりのベテランリーダーたち。子どもの健やかな成長を見守っている。
「よー、長瀬統括保健師さん。偉くなったもんだ。」
入庁してから間もなくして知り合った地域の方で、私のことを良く知る理解者でもある。
「青木さん、先日は健康イベントお疲れさまでした。子どもたちも楽しんでましたね。」
「そうだな。子どもが来たいイベントは親子でも参加してくれるからな。子どもの笑顔は親も見たいだろうからな。」
青木さんをはじめ三雲地区は地域を盛り上げるために積極的な高齢者が多いから、一緒になって真剣に考えてくれる。
「そうそう、青木さん。奥さんから聞きましたよ。もう若くないんですからアルコールもほどほどにしてくださいね。高齢者の方の適正飲酒量は何合までか知ってますよね?」
私は諭すように言った。
「毎回口うるさく言われているからわかってるよ。1合だろ。でも俺は、他の人よりも体が大きいから、俺の場合の1合は特注サイズで大きいんだよ。」
耳の痛い話は、笑えない冗談でいつもかわそうとする。
「ちょっと太りました?体重を量ってBMIの計算しましょうか?」
「おーっと、もうこんな時間か。用事だ、用事。」
とそそくさとその場を去ろうとした後ろ姿に言葉を追いかけた。
「休肝日も忘れずにとってくださいね!」
中山保健師はあっけにとられたように言葉を発さずにただ見ていた。
「あちゃ~、またやった。」
追い打ちをかけるように言葉をかけたり、少ししつこくなってしまうのが私の悪い癖だ。
甲西中学校区は、2023年統計データによる他の地域との比較では、血圧は基準値内の人が多く、糖やコレステロール値などは目立って高くないため、生活習慣病に起因する数値は良好な方だった。後期高齢者の女性でBMIの数値が高い人が多いことが目立つ程度だ。
ただ、朝食未摂取率と食事バランスに課題があった。それは、特に働き世代で顕著だ。
働き世代には啓発ができるタイミングが少ないことが課題だ。
だから、地域のイベントにお邪魔させてもらって、健康づくりとは違う目的で来ている人に啓発をして関心を持ってもらったり、高齢者や子どもたちから働き世代に口コミで伝えてもらう方法を積極的に行っている。食からのアプローチのおかげで、健康づくりが甲西中学校区にも浸透してきた。
そのことは、働き世代にも少しずつ効果がでてきていると感じる。
「先輩、さっき料理教室で言われていた手順の仕組み、でしたか?どのようなものか教えてもらえますか?」
「第3次健康こなん21計画にも掲げているんだけど、誰一人取り残さないことを意識しながら、次世代につなげるために定着するような仕組みづくりを今年の2030年までに完成させることを目指しているのよ。」
学校での食育教室や地域での大人の料理教室を効果的に開催していくには、計画・実行そして点検、改善を繰り返し行い、実施した後のレシピの公開や料理教室の情報発信に至るまでの一連の仕組みが必要だ。
それは凝り固まった仕組みではなく、状況によって地域や担当者がアイデアを組み込めるよう「関わりしろ」を残している。言ってみれば、キャンパスノートにぎっしりと文字を詰め込むのではなく、書き込める余白を残しておくということだ。
「健康づくりの幅広い分野で仕組みづくりが進められているのよ。」
健康管理、身体活動・運動、休養・睡眠、たばこ、アルコール、歯・口腔の健康、栄養・食生活、こころの健康。一つ一つ議論を重ねて丁寧に作り上げていくことが必要だ。
私たちは、立志(りゅうし)神社に来ている。ここは、志を立て祈るための神社。先輩に連れてきてもらってから、初心に返りたいときには立ち寄ることにしている。
ここ10年の社会環境の変化は、生活スタイルにも大きな影響が出ていて価値観も多様化している。でも、いつの時代も「健康」というテーマは、人間にある共通の価値観であり普遍的なものだ。
だからこそ、誰一人取り残さないように、私たち「オールこなん」で健康づくりに取り組むことができると信じている。
昨日もテレビのニュース番組で自殺者の報道を目にした。
湖南市でも何らかの事情が重なり追い込まれ、自ら命を落とす人がいる。
こころの健康を阻害する要因は、この複雑な社会の中で多様化かつ深刻化している。
生きることのつらさや悲しみが行き場を失うことがないように、悩みを抱えている人が生きる希望を少しでも持てるように、私たち一人ひとりが、気づき、寄り添い、手を差し伸べることができたらと思う。
市民一人ひとりの健康づくりを支え、地域で育み、そして次の世代へつなぐ・・・
湖南市に関わる人たちと一緒に、力を合わせながら。
時には、新しいことを受け入れながら「まちをデザイン」していく。
大きい志を持って地域と向き合いたいと思う。
「・・・せんぱい、先輩!」
不安そうに中山保健師が私の顔を見つめている。
「先輩、聞いてます?」
何やら少しの間自分の世界に入り込んでいたようだ。
「私、この前大変な失敗して、自信喪失です。どうしたら先輩みたいになれますか?」
そういえば、と私の記憶がよみがえる。
私も中山保健師のようにあまり経験が積めていない頃は、同じように先輩に悩みの相談をしていたっけ。
遠くを見つめることも大事だけど、まずは足元からしっかりと後継者を育てていかなくちゃ。
「落ち着いてやれば中山さんなら大丈夫よ。一つ一つしっかりと。自信持って。」
そう言って、中山保健師に寄り添いながら背中をそっとなでた。
あの頃、先輩が同じように私にしてくれたことに思いを馳せながら、そっと優しく。
こころが少しでも落ち着くように、と願いを込めて。
基本データ

行動変容ステージ
・「生活習慣病のリスクを高めるアルコール摂取量の人」の割合が高い
・「バランスのよい食事をほとんど食べていない人」、「朝食をほとんど食べていない人」の割合が高い


特定健診データ
・血圧の高い人は19~39歳の男性を除いて少ない
・19~39歳では肥満が少ない一方、75歳以上では肥満の女性が多い

更新日:2025年02月07日